職人的メンタリティからの脱却
かつて日本は「商人国家」といわれ、その後、今では「職人国家」といわれるようになった。商人国家の根拠は、何よりも商売を優先するマインドで、日本人の損得を真っ先に考える計算高さを指していた。当時は冷戦時代で西側欧米諸国が軍事的にイデオロギー的闘争に明け暮れる中、日本はビジネスに集中し、発展を遂げた背景もあった。
職人国家とは、いうまでもなくモノ作りを専売特許とする技術大国を自負してきた日本の飽くなき完成度の高い製品追求が背景にある。それは今も変わらず、職場では業務内容に関わらず完璧主義の要求が高く、社員は目の前にある業務を完璧にこなすことに追われる現実がある。
細かいことへのこだわりは、私のグローバルな経験からすれば、多分、日本は世界では群を抜いており、微小なことへの気配りが仕事に求められるケースが多い。結果として、一定の高い質の製品を作り出すために、同じことを繰り返す作業スキルは、職人に求められるものと酷似している。
ところが、技術というだけなら、今では韓国や中国、台湾に移転しており、韓国製や中国製ではなく、韓国や中国ブランドが世界を席巻する時代に入っている。初代国連大使だった加瀬俊一氏は、バブルの時代に「技術は、どの国でも継承でき、技術にだけ頼っていては先がない」と予見していたとおりになりつつある。
先進国となって歴史の長い欧米諸国は、ドイツやイタリアを除けば、広い面積を必要とする生産拠点を作り、大量に人を雇用し、製品の持続的輸送ルートも確保しなければならない製造業よりは、あらゆる産業に必要な血液ともいうべき金融で「金が金を生み出すビジネス」に重心をシフトさせ、巨額の利益を得てきた。
さらにウーバーのような配車サービスシステム、SNSや検索サイトなどのネットサービスの拡大で、物理インフラが必要ないITビジネスが、経済を牽引する時代を迎えている。これらは確かに高度な技術も必要だが、それ以上に人間の生活スタイルを革新的に変える要素が根底にある。
次々に登場する新技術は、たとえばデジタルカメラの登場でフィルム産業は廃業状態に追い込まれるなどビジネスモデルが目まぐるしく変化しているが、それ以上に技術のイノベーションを支えているのは、人間の生活をより豊かにしようという欲求が背後にあることだ。
そこで重要なことは、同じことを継続的に完璧にこなす職人的スキルではなく、人間に幸福をもたらす独創的な技術やサービスを提供し、常に新しいビジネスモデルを開発するスキルが求められているということだ。それは職人には求められない創造的要素が増していることを意味している。
無論、技(わざ)を極めることは重要だが、その技が必要なくなれば消えていくしかない。手段が目的化するという日本人の最大の弱点は、技に溺れて本来の目的を見失うことでもある。実は独創性や創造性は、目の前にある業務を完璧にこなすことに追われる状況からは生れにくい。なぜなら創造脳には自由と時間的余裕が必要だからだ。
さらにいえば、独創性は基本的に個が生み出すもので、個を重視しない日本的文化からは独創性のあるビジネスモデルは生れにくい。年齢も関係なく、むしろ若いほど大胆で革新的発想が出てくる。年功序列や在籍年数尊重は妨げになることある。リーダーの意識変革が必要だ。