忖度病の独裁企業がリーダーをだめにする
東洋独特の慣習とも言えるが、上司の意向を具体的な指示がなくとも部下が慮り行動し、上司を喜ばせようとすることを評価する文化がある。逆に言えば上司の意向を悟って自ら行動する部下を評価し、昇進の材料にするという企業文化が日本では根強く残っている。
例えば、親の心情を悟り、子供自ら親が喜ぶことを行うことを親孝行という。さらに日本の歴史の中には、殿様の意向を悟り、黙って行動し喜ばれる結果を持ってくる家来こそが忠孝の見本とも言われる。日本には言わずして悟ることを是とする考えが今でも強い。いわゆる忖度(そんたく)の文化だ。
ある外資系企業から相談を受け、アメリカ本社から来た社長が「君たち日本支社が出している結果に私はけっして満足していない」と言われ、本当は苦労を労ってほしかった日本人社員全員がショックを受けたという話を聞いた。日本的には「自分たちの働きを殿は満足しておられない」というように解釈してしまったとも言える。
忖度文化の背景には、3つの原因が想像できる。一つは家族(親子)関係の延長線上で組織や上下関係を捉えることで、孝行者の部下は上司の意向を忖度できてこそ一人前となる。二つ目は明治維新以前の社会にあった主君と家来の関係、あるいは主人と下僕の関係から、ご主人様の意向を悟って行動できる家来こそ忠臣という考え方だ。
三つ目は、世界に稀に見る常識や価値観の共有度が高い日本人は、上司の意向を言葉なくして悟るのが当然というハイコンテクストの慣習が考えられる。日本的経営はそのような文化の上に成り立ち、日本人だけで運営してきた過去においては忖度する文化は機能していた。
無論、忖度文化はデメリットもある。分かりやすい例は昨今の豊洲新市場の問題で、東京ガスからの土地購入、土壌汚染の処理問題など明るみに出た東京都の一連の動きでは、知事などトップに対して各部署の責任者が知事の意向を忖度して動いていたことが読み取れる。知事の側もそれを当然としており、都の職員は知事の意向を汲んで行動していたと言わんばかりだ。
韓国ドラマは、忖度の悲劇の山とも言える。朝鮮王朝時代、家来は王を喜ばせようとして行動するが、それが真逆な評価を受けることも多く、恨(はん)が増すという話だ。無論、メリットもある。それはコミュニケーションなしに上司の意向を悟り、時には上司の期待を超える仕事をするという、高度な離れ業にもなるからだ。
しかし、この極端に相似性、同質性の強い文化から生れた仕事の進め方は今、完全に機能不全に陥っている。日本国内でも世代間の違いは大きく、コミュニケーションなしの忖度文化は20年以上前から機能していない。そこに今度はグローバル化の波が押し寄せ、相似性どころか共有できる価値観すら怪しい世界で協業するようになり、忖度するどころではなくなっている。
過去の同質性に頼る忖度文化は、上司が部下にヴィジョンや目標を伝える努力を怠らせ、相互の理解の確認作業(フィードバック)も軽視することで上司と部下の溝を深まり、時にはトップが独裁化し上司をだめにしている現状がある。
つまり、上司と部下の相互理解を再構築するためには、日本企業に蔓延する忖度病を完全に排除し、コミュニケーションを徹底し、人間関係構築を上司自ら主体的に行う必要があるという話だ。
コラム61 3・16・2017記