本日は大阪校の人気ポルトガル語講師

芦田ルイーザ先生にインタビューしてみました

ルイーザ先生の素顔に迫りたいと思います。

↑芦田ルイーザ先生

 

先生が日本に来られたきっかけは何ですか?

高校生の頃、おじいさん、おばあさんの国である日本を見てみたいと思ったんです。

それで卒業後単身で日本に来ました。

実は子供の頃、日系人であることにプラスイメージがなく、自分を出すのが苦手でした。

でも中学生ぐらいから少しずつ日系人であることに誇りが持てるようになりました。

それは日系人は優秀な人が多く、塾などでもライバル視されることがあったからです。

そこから徐々に自分が出せるようになりました。

 

先生のおじいさん、おばあさんが日本からブラジル渡られた時のお話を聞いたことがありますか?

はい、私の祖父母は約100年前九州からブラジルへ渡りました。

1908年に神戸からサンパウロに渡った笠戸丸の話では、

風呂敷包み1つの人もいたようです。

長い長い船旅でしたが、運動会などのイベントもありました。

しかし病気になる人や、亡くなる人もいたそうです。

 

ブラジルへ渡られた方々は、ご苦労もあったとお伺いしますが、いかがだったんでしょうか?

日系人の多くはミドルネームに日本名を付けるのですが

私のおじや、おばには日本名がありません。

それはおじや、おばが生まれた第2次世界大戦の頃、排日運動が活発になったからです。

ちなみに私のミドルネームは「あけみ」と言います。

ポルトガル語には男性名詞と女性名詞があるのですが、

単語の最後が母音の「オ」で終わる音は男性名詞、母音の「ア」で終わる音のは女性名詞です。

名前を付ける時も意識されていて、「マリオ」は男性名、「マリア」は女性名というのが代表

的な例です。

しかし日本では○○也という母音の「ア」で終わる男性名、○○子という母音の「オ」で終わる

女性名があるので、違和感があります。

 

先生のご両親の世代はいかがだったんですか?

両親の世代は家の仕事の手伝いであまり学校にも行けなかったので、

ポルトガル語が流暢に話せませんでした。

日本語も祖父母が話す九州の方言を覚えていました。

そんな両親の言葉の影響を受けて、私は言葉に大変興味を持つようになりました。

語学教師になったのもそれがきっかけだったのかもしれません。

 

先生が日本に来られた時はいかがだったんですか?

日本に来た頃はほとんど日本語が話せませんでした。

言葉も分からず辛い経験もし、どんどんマイナス思考になっていきました。

でも日本語が分かるようになるにつれ、どんどん視野が広がるようになり、

通訳の仕事もするようになりました。

通訳の仕事をとおして、たくさんの言葉を覚えることができました。

 

日本語の学習経験はポルトガル語教師の仕事に活かせますね。

はい、私は日本語を覚える時色々と工夫をしました。

他の言語と比較したり、音の響きで覚えたり、とにかく楽しみながら覚えるようにしました。

その経験を活かして、今ポルトガル語を教えています。

 

先生の趣味は何ですか?

サルサと英語の勉強です。

そうじをしながらサルサを踊ったり、車の運転をしながら英語を聞いたりしています。

何かをしながらの趣味はいつでもどこでもできて、楽しいですよ

ポルトガル語を覚える時もただ単に覚えるのではなく、サルサのステップを入れての

レッスンも楽しいかもしれませんね(笑)。

 

最後にこれからポルトガル語を勉強される方へメッセージをお願いします。

語学を習得することで、世界が広がります。

習得した言語を使って、世界中の人と楽しく会話するイメージをしてください。

そのイメージが勉強を続ける原動力になります。

様々な経験をすることで、言語は習得することができます。

一緒に世界観を広げましょう!

 

今回はポルトガル語講師芦田ルイーザ先生の素顔に迫ってみましたが

いかがでしたでしょうか。

実はこのインタビュー中ポルトガル語のレッスンまでしてくださいました

ルイーザ先生のレッスンは分かりやすいだけではなく、勢いもあり、いつの間にか

夢中になっていました。

ポルトガル語にご興味のある方、赴任される方、赴任されるご家族に同行される方、ぜひお問い合わせください。

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ご連絡お待ちしております☆