東海大医学部合格体験記「センター試験化学10点から合格!」

センター試験化学10点からの再スタート!
ぼくの現役時のセンター化学の点数は100点満点で10点でした。
「よくそんな点数で医学部を目指したね」と言われるかもしれません。現役の受験生はみんなそうですが、学校全体で出願するので、センター試験は受けないわけにもいきません。私立医大志望のぼくは、センター枠利用の合格は夢のまた夢だったので、センター試験はとりあえず形ばかり受けました。センター対策としては、いわゆる「ノー勉」状態でした。それにしても、10点くらい適当にマークしても取れる点数です。つまり、1浪の受験生としての化学はほとんどゼロからのスタートでした。
現役のときも愛知医科大、帝京大、東海大などの医学部を受けましたが、まったく歯が立たなかった感じです。それでも、医学部をあきらめきれず、親に頭を下げて「この1年だけ!2浪はしない!医学部以外の学部も受けて、医学部が全落ちならそこへ行く」と決意してスタートしました。その意味では背水の陣でした。
夏まではまずまず順調、しかし、甘い考えが足かせに
まず、大手予備校Kに通いました。実績のある大手予備校に通いながら、医学部に強い先生の個別指導、これならたとえゼロからのスタートでもなんとかなるだろうと思っていました。化学はN先生、そして、最大のネックと自覚していた英語は大西先生にお願いしました。今、考えてみれば、化学の偏差値も50を切ることがあったので、最大のネックとしては偏差値40台の英語と化学はいい勝負でしたね(笑)。
しかし、この「なんとかなるだろう」という甘い姿勢がすでに問題だったと悟らされたのは秋でした。
予備校の授業はさすがに「なるほど、なるほど」と納得がいくものでした。N先生の指導も熱心でしかも噛んで含めるような丁寧さで、予備校の授業を教科書や定番の問題集の演習でフォローしてくれました。もともと数学だけは偏差値60前後で比較的得意でした。同じく化学もモル計算などはそれほど苦労はしませんでした。しかし、問題は暗記事項でした。N先生は「まず、覚える事は覚えてしまうしかない。教科書の基礎事項の暗記からいこう」という当然の方針提示でした。偏差値も40台から50台は比較的スムーズに上昇しました。現役時代の受験化学は「限りなくゼロに近い」学力だったので、「ある程度」本格的に勉強を始めれば当然かもしれません。それが夏前の状態でした。
偏差値55の壁
しかし、そこからが大変でした。模試の偏差値は55前後を行ったり来たり、偏差値60がとてつもなく高い壁に感じました。同時にN先生と過去問演習に入りましたが、70~80%という合格想定ラインには程遠く50%にも届きません。予備校の授業は秋以降、より実践的で高度な内容に入り、「なるほど」というよりは「えーっと、あれ?」とか思っている間にどんどん進んでしまって、ほとんどがカスミがかかった状態のまま進行するようになりました。
N先生はぼくの「なんとかなるだろう」という甘い姿勢が根底的な問題だという点に早くから気づいておられたと思います。それで「ヨードホルム反応に陽性の官能基の形」という基本中の基本すら、いつまでたってもウロ覚えのぼくに対して、厳しく叱咤激励されることも多くなりました。
「テストで点を取ることの意味」「ノートを抱えて寝ろ!」
「君はテストで点を取ることがどういうことか、わかってない!」
「覚えるべきことは100%、120%確実に覚えていなければ、テスト会場では何の役にも立たない。計算問題も同じこと。100%出来るまで反復する。理系は反復が効く!できるまでやる!自分は受験生時代、前日に覚えたことを翌日忘れていないか恐ろしくて、ノートや問題集を抱えたままで寝た。君もノートを抱えて寝ろ!」
N先生のこの言葉は脳裏に焼きついています。
そのころ、英語もこのままで医学部のレベルに到達するのか、やっぱり、俺には医学部なんか無理だったんではと疑心暗鬼になり、英語担当の大西先生と母親とさんしゃで面談し、医学部受験に対するぼくの「甘い姿勢」がやっと正されました。「実績のある大手予備校に通っていればなんとかなるだろう」というぼくの幻想は崩れ去りました。
この頃になってやっとN先生の言葉
「テストで点を取ることがどういうことかわかっていない!」
の意味が分かってきたように感じます。
単純明快な原則とロードマップ
ようやく、テストで点を取るという目的とそのための勉強という手段が噛み合って、フォーカスが合ったのでしょう。
以下の単純な原則と先生たちのロードマップに沿って、僕の受験勉強が回転し始め、前進し始めました。
「覚えることは100%覚える!」
「計算問題は100%出来るまでやる!」
「正誤問題は根拠説明が100%一致するまで反復する!」
「記述問題は思考過程とキーワードが100%一致するまで反復する!」
「わからないことがある時は、納得がいくまで質問すること」(NGの時のルール)
こうしてみると、「NGの時のルール」も含めてN先生の指示は単純明快でした。大西先生の指示も同様でした。
しかし、時間はいくらあっても足らないかもしれません。大手予備校の講義を聴いている時間はないとわかりました。翌日から大手予備校に通うのはやめました。
実績のある大手予備校に通いながら「これくらい勉強しているのだから」という自己満足・自己陶酔から目が覚めたのでした。
「映画の予告編」だけ見ていた自己満足から目が覚める
大西先生は言っていました。
「大手予備校の授業は力のある受験生にとっては大きな武器となる。
けれども、基礎の固まっていない生徒にとっては、例えば、映画の予告編を見ているようなものだ。
断片的に印象深い場面を見て、それなりにこの映画はこういう感じかという感想は残るけれども、映画本編を見るのとは全然違う。時間が経てばほとんど何も残らない。
いい映画を見て、その後、なにかの機会に予告編を見れば、ああ、あんな場面があったなぁ、ここは本当ににジーンときたと、感動が何回でも蘇る。そしてまた繰り返して見たくなる。
それが本来の姿だろうけれど、ここにもし、予告編ばかりを見てちょっと心を動かすだけで、映画本編を見ようとしない人がいるとすれば、なんの意味があるだろうか?」
この時、ぼくは合格への道を先生たちと歩き始めました。
家族の支え―家族一体のチームでゴール
家族は本当にぼくをサポートしてくれました。
ぼくが本当に必死に先生たちのメニューに取り組み始めた頃でした。ぼくが夜、机に向かっている時、家族が別室でテレビを見ていて笑う声が聞こえてきました。
それはごく当たり前の家族の風景ですが、ぼくは無性に腹が立ちました。それで、そのときは切れてしまい、「ぼくが勉強している間は、テレビを見るな!」と、
今から思えばとんでもなくわがままな暴言を吐いてしまいました。でも、ぼくの家族はそれを咎めるどころか、会議を開いて受け入れてくれたのでした。
つまり、僕の受験が終わるまで、なんとテレビを押し入れにしまってくれたのです!受験生を抱える家族は多くあるでしょうが、こんな家族はきっと多くはないでしょう。
これは一例に過ぎませんが、家族は本当に心を一つにして僕と受験を闘ってくれました。
こういう素晴らしい家族に支えられて、そして、何より最高の先生たちと出会えて、ぼくは東海大医学部に合格したのでした。
今は医学生として受験生に勝るとも劣らない忙しい生活の中にいますが、ふと、大学受験を振り返り、本当にありがたかったと感謝の思いでいっぱいです。